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2003年5月13日 ・ | 地図・文章作成:佐々木卓也 写真:山根政則 |
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| 佐々木センセの一口噺:賀茂郡内の西国街道 ・ 古代安芸国には、東西に影面道(カゲトモノミチ)または大宰府官道と呼ばれ、畿内京師と西都大宰府を結ぶ山陽道が通り、東の備中国境から沼田(ヌタ)・賀茂(カモ)・安芸(アキ)・佐伯(サエキ)の各郡が並んでいました。吉備高原西翼に属す賀茂台地から放射状に、沼田川・黒瀬川・瀬野川・三篠川が流れ、賀茂郡はそれらの分水嶺となっています。郡内には西条・黒瀬・高屋・志和の小盆地が所在し、かつては内水湖となって西条湖成層が厚く堆積しています。 古代より山稜鞍部から盆地中央へ、かなりの高度差を往来しなければならず、松子山・飢坂・大山峠など西国街道の難所になっています。盆地中央は縄文時代より平地の森林が伐採され、古代には条里制に基いた耕地整備が行われました。現在の竜王山と江熊の丘阜を結んだ線上に半尾川があり、これを基準に旧賀茂郷は東条と西条とに分かれていました。四日市・次郎丸は東条方にあり、安芸国国分寺の寺町となり中世には定期市が立ちました。西条東は西条方の東に位置し、初期安芸国国府や賀茂郡家が置かれ門前町ともなりました。 古代山陽道は北部竜王山山麓を通り、古代木棉(ユウ)駅家が寺家地区に小字夕作(ユウヅクリ)の地名が残っています。現在は夕づくりの里にはゆうりんさんと呼ばれる小祠があります。 中世は大内方の鏡山城を始め盆地南部が開発され、三永から原に貫けていたようで現在の国道2号線の西条バイパス付近と思われます。豊臣秀吉は九州遠征の途次に旦過寺=現在御建神社に逗留し、後には広島藩の賀茂郡御役所や四日市宿御茶屋=本陣が置かれ、酒蔵が多く建ち並び宿場町は整備され、現在のルートに従って西国街道が設置されたのでした。 |
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JR八本松駅 現在JR山陽本線の最高地点(海抜255m)に位置し、かつては「せのはち」という瀬野・八本松間には、上り列車の後押し機関車が往復した山陽本線最大の難所でした。八本松の名前は、旧吉宗村と飯田村との境界線を西国街道が通り、長尾の一里塚には雌雄松があり、それぞれ4本の幹を持ち八本松と呼ばれました。現在は快速列車も停車し、南部の広島大学方面と北部の福富・豊栄方面へ、東広島市西部地域の結節点となっています。 |
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八本松八十八石仏 大正末期に「人の集えるものを」と地元資産家により建てられ、四国八十八箇所の信仰が発生しました。石仏の裏には寄進者の名前と年齢が見え、自分の数え年と同じ仏様にお参りすると、ご利益に預かれると言い伝えられています。全行程は9qで4〜6時間程で廻れます。また手軽に散策できる「八本松八十八石仏全コース案内図」もあります。 図面挿入:「八本松八十八石仏全コース案内図」(後日掲載) |
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妙福寺 旧賀茂郡一帯は浄土真宗の力が強く、安芸門徒が殆どですが、珍しく日蓮宗の古刹寺院があります。創建は南北朝と言われ、賀茂郡内では唯一のものです。広島城下の国前寺は有名ですが、安芸国には西国街道に沿い、日蓮宗寺院が点在することも注目されます。 |
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清水川神社参道 旧飯田村の下組の鎮守社で、背後の293mの丘陵部からの渓流に因みます。丘陵の周囲の谷間には古くから溜池が造られ、農耕の守護神でもあります。西国街道と出会う東西の参道には、地元有志らで石造物の寄進が行われ、中でも嘉永年間造営の石灯篭は自然石の傑作です。西側の蓮池は江戸時代に開かれ、当地の農産物の殆どは自給されました |
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須久茂池跡と旧国鉄材修場跡![]() 明治中期に山陽鉄道=後の日本国有鉄道が広島へと延び、大正後期には機関車の修理やレールの溶接のために材修場が設置されました。以前は農業用のため池として須久茂池があり、堰堤上を西国街道が通っていました。後に埋め立てられ西隣に移設され、現在移設碑が立っています。材修跡碑(右)の立つ「かつえ坂にこにこ公園」は休憩に便利です。 |
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| ため池の多い西条盆地 西条盆地は年間降水量が1,400mmと比較的少なく、賀茂台地一帯は花崗岩質の真砂土が堆積し、滞水性に乏しく水不足が悩みの種でした。江戸時代に西条四日市を中心に人口が増え、山稜の谷間にため池が随所に造られ、現在も全体で800近い数を誇っています。 |
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飢坂峠の道標と塚の峠の小祠![]() むかし牛を救って長者となった牛満長者は、助実の歌謡坂(ウタウタイザカ)から朝早く田植を始め、昼に浜田まで仕上げ、夕方に当地に達した処で、空腹となり飢坂(カツエザカ)の地名がおこりました。また西国街道の難所で往来する人たちに、当地で炊き出しし救済した伝説があります。この小祠は塚の峠の傍らにあり、塚の峠池西の飢坂峠を見つめます。 |
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時友一里塚跡:時友橋東詰 志和町の古刹:並滝寺より流れる黒瀬川=西条川に架る時友橋の東詰に、時友一里塚跡があります。正面は西方の塚の峠(ツカノタオ)で、1里目が八本松の長尾一里塚に至ります。 背後の東方へは四日市宿を貫け、1里目が歌謡坂一里塚に達します。当地は旧寺家村にあたり美田が一面に広がり、赤瓦を葺いた豪勢な民家が、背後の里山に馴染んでいます。 |
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長沼邸の居蔵造り![]() 西条盆地の民家を代表する居蔵造り(イグラヅクリ)は、重層入母屋造りとも称し、どっしりとした面構えをしています。赤瓦と白壁の対比がとても良く、竜虎や鯱を載せた鬼瓦も注目されます。明治31年に寺家村と西条東村が合併し、寺西村が誕生し当家の西には旧寺西村役場跡の石碑が建っています。明治以降も数多くの人々が街道を往来しました。 |
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サタケ本社ビル・やし館 酒都西条と呼ばれ、江戸時代から栄えた酒蔵 が今も軒を並べています。灘・伏見と並ぶ西条の酒造りを支えたのが、世界的企業のサタケ株式会社です。精米機の世界シェアを独占する企業は、先代社長の趣味から世界のヤシ植物のコレクションにまで至り、本社屋内のやし館は必見です。休業日を除く平日の営業時間内は、自由に無料見学できます。 |
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賀茂輝酒造本社![]() 西条の酒蔵の一つで通好みの銘酒です。内部は見学可能で販売所では試飲が愉しめます。 |
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真光寺 浄土真宗本願寺派の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。真宗寺院特有の壮大な本堂伽藍や鐘楼・経蔵・庫裏などが揃っています。築地塀は白御影石に方円を彫り込み繋ぎ併せ、庫裏は西国街道の屈曲部分に合わせ、雁行の外壁構造となっているのも注目されます。 |
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賀茂郡御役所跡と西条の佇まい 西国街道に沿う旧西条東には、江戸時代に広島藩の代官所が置かれました。代官が在郡していない時は 御役所と言われました。賀茂郡の中心地として、明治以降も賀茂郡役所が置かれていました。四日市には賀茂郡用所が置かれ、郡内の7人の割庄屋が交代制で勤番していました。西条の街並みは秩序正しく、商家の佇まいが今も随所に見られます。 |