東広島市上三永(石門)から竹原市新庄(横大道)まで 2004.1. 中川 正  制作


●街道みどころ案内
現地への交通手段(広島方面より)
  行き  JR西条駅前より竹原行きバスに乗車    「石門前」下車
       または 広島バスセンターより竹原行きバス「かぐや姫号」乗車  「石門前」下車
  帰り  竹原市新庄バス停より「JR西条駅行き」乗車  西条駅でJR山陽本線に乗り換え
       または 竹原市横大道バス停より広島バスセンター行きバス「かぐや姫」号乗車
         
  注意  行き、帰りともバスの回数が少ないため、事前に時刻表を確認しておく必要があります。


       上三永から新庄に向かって歩けば、田万里の坂が下り坂になり楽です。

東広島市上三永から竹原市横大道まで  約 8km

 松子山の山中を整備して頂いた皆さんに感謝状をお贈りする。 


 
 
出発に先立ち、前回歩いた松子山山中の倒木の伐採や泥道の整備をして頂いた皆さんに佐々木会長より感謝状をお渡ししました。

 八本松石仏の会の方々
 積山 さま
 井上 さま
      (石門前にて)
 石立神社(東広島市上三永)


 石門前の道を東に約300m行くと石立神社の鳥居の前に出る。
ここで西国街道に入る。十字路から左の坂道に上がると日向一里塚跡から松子山を通って西条四日市に向かう山道に至る前回のコースとなる。
 東に向かっての西国街道は真直ぐ進み、約200mで右折して国道を横断するが、交通量が多く横断は危険。十字路を右に折れ、国道に架かる陸橋で道路の南側に渡る。

 茗荷清水(みょうがしみず)

 竹原市との市境にかかる手前(市境の標識はない)の街道右側に小さな小屋があり、中に水が湧き出ている。
 芸藩通志には「音に聞こえしみょうがの清水 三原御前酒におとるまい」と紹介されている。山を越え、坂道を登りきった旅人の渇きを癒した清水であっただろう。なお、銘酒「賀茂泉」はこの名水、茗荷清水から名付けられたとも伝えられる。
 昨年までは、地面に水が滲み出した状態でぬかるんでいたが、最近小屋を建て、きれいに整備をされた。 
 石立神社(竹原市田万里)

  上三永の石立神社と対をなす形で祀られている。大きな岩が街道にせり出しているが、神社の縁起について「豊田郡史」に次のような伝説が書かれている。
 「寛延4年(1627)三月頃より、石立山一帯に一昼夜に5,6度も地鳴りが響きわたった。調べてみると山腹の巨岩が縦に裂けかけていた。昔はここに石立権現があったが何時か西の坊に移ってしまった。神託を伺うと石は割れて落ちると宣され、麓は狭く街道と川にはさまれ、巨岩が落ちれば道は塞がり川はあふれてしまう。
危険なので他の道を付け替えようと工事を始めたが捗らない。風雨の激しい夜、地響きとともについに岩は崩れ落ちた。よく見れば岩は小さく割れ山腹や道傍に散り、往来や川の流れの妨げとはならなかった。住民は神徳を感じ新たに祠堂を建てて祀った」
 田万里の峠道

 田万里の峠道は山裾をくるくると曲がり長い。道幅も狭くかなり急な坂道である。かっては、毎年1月末に行われたいた中国駅伝の難所て゜あり、東から上って来るとかなりの心臓破りの丘であった。終戦直後の大会では伴走の木炭車が坂を登りきれず、じゅず繋ぎで立ち往生したというエピソードもあった。
 歩くには、上三永側からの方がお勧めだ。
 田万里の石垣

 
>田万里から横大道の街道脇には、整然と積み上げられた石垣の姿が多く見受けられる。「石垣をたたえる会」の会長でもある佐々木先生のお話では、この地域には江戸時代の石垣が多く残されているとのことである。
 写真は一部分補修もされているが、江戸時代の石垣である。

 銀山橋付近
 田万里町堀坂で西国街道は国道二号線の下をくぐり、一時国道の北側に出て、すぐにまた、国道をくぐって南側に戻り西に進む。田万里川の流れに沿って、街道もカーブを描く。
 黄幡坂一里塚跡
 
 左に西立寺の大屋根を眺めながら下る坂は黄幡坂(寺坂)と呼ばれている。坂の途中、左の畑の中にオオバンサンと呼ばれている小さな祠がある。このあたりに一里塚があったといわれる。
 西立寺の住職は「古老から、この一里塚付近に大松があったと話を聞いたことがある」と話された。
 芸藩通史にもこの位置に一里松を描いている。



 田万里の宿(その1) 伊藤家本陣  

 西条四日市から次の宿駅である本郷までは、距離が約6里(24km)あり、西国街道の中でも、最も長丁場で急坂の道が続く旅人泣かせの個所であった。朝暗い時刻に四日市の宿を出立し、松子山を越して田万里の坂道を長時間かかって歩きつづけざるを得なかった。
 田万里市はほぼその中間にあり「間宿」であった。茶屋などが並び小休所として賑わった。「行程記」にも「この所よき茶店多し」と記されている。
 四日市と本郷の本陣が混み合った時には田万里の宿(本陣)に参勤交代の大名が泊まったといわれる。写真は本陣の伊藤家。
 田万里の里(その2) 鉤辻の道

 田万里の宿の東のはずれで街道は急に右に大きく曲がっている。宿場町の出入り口にはこのような「鉤辻の道」が多く見られ、宿場町の防衛のために設けられたものだともいわれている。
 西野町の大橋

 ここまで街道は田万里川の南側を進んできたが、大橋で田万里川を渡り、国道2号線を横断して末京から宝器地区の山裾の道に入る。
 大橋は「行程記」によると長さ6間の土橋だった。

 (このあたり、途中にはトイレがない。国道2号線に出たところの左側のガソリンスタンドでお借りした。)

 石垣の道(その1)


 末京から亀山、宝器地区への道は北側に長い石垣が築かれていて、石の芸術を見る思いがする・
  

 石垣の道(その2)

 城の石垣かとも見間違う大きな石が組み合わされた石垣の邸もあった。
 庭の大石

 
 超ド級の庭石がずっしりと腰を据えているお宅もある。



 湯坂温泉 賀茂川荘

 西国街道の右は、一段低い所を国道2号線が平行して走り、その向こうを賀茂川が流れる。

 賀茂川が南に曲がり、田万里川と分離する手前に湯坂温泉賀茂川荘がある。


 バナナの花 ? ・・・・

 
街道は日当たりがよく、北側を山に遮られているからか、冬でも山中の割には暖かく感じる。
 
 街道の南側に一見バナナの花ではないかと思える奇妙な花を見つけた。(写真)
 バナナだとはしゃいでいたが、実態はバショウの花であることを、後日の新聞記事で知った。それにしても15年から20年位の間隔で咲く珍しい花らしい。


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 船谷一里塚跡


 「中国行程記」によると、西野村と新庄村の村境の流れ(船谷川)の西側に一里山が描かれている。現在石碑の立っている付近と思われる。道の南側には地蔵堂がある。

船谷一里塚跡 周辺図
 横大道(竹原市新庄)
 
 横大道は西国街道と竹原から三次に至る街道との交点である。四辻に「東大阪 西廣島 道、南竹原 北三次 道」の道標が建つ。向かいに地蔵堂があり「雨乞い地蔵」と呼ばれている。台石に寛政7年(1795)3月24日の記銘がある。
 江戸時代末期には約50軒の家があり、茶屋や宿屋もあったといわれる。 



                  西国街道はこれより東、瓦坂峠と向かう