
| 2009.11.17 | 塩形 幸雄 制作 |
| 西国街道、周防の国、萩藩では、山陽道と呼んでいる。 周防の国、防府周辺は国衙、国分寺など、古代から、行政の中心であった。 江戸時代、毛利氏は萩に押し込められたが、萩往還を通じ、防府に出て、西国街道、また、瀬戸内の舟運を活用した。いわば、萩藩の玄関でもあった。 防府を出発、萩往還とも別れ、一路下関へと向かう。 佐波川大崎の渡し、川は拡幅され、堤防など整備され、また橋がかかる。ここを、駕籠で、台で、徒歩で渡っていた。佐野峠、一部崩れて通れないところもあった。峠の近くまで海が迫っていた様子が現地では見て取れる。 歩いて行くと、歴史の時間と空間を実感できる。距離は約8km |

中心市街を案内いたします
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| 街道の道すじと見どころ 防府天満宮すぐ西側、宮市本陣がありました。宮市は、天満宮の門前市で、山陽道の他、萩往還もとおっており、人の往来が多くありました。このため、本陣(兄部家)、脇本陣や大店が軒を連ねるなど、賑わっており、当時の面影が見て取れます。兄部家では、今も人が住んでおられるため、まわりから、そっと眺めました。 市内、千日の交差点付近、佐波令の一里塚跡になります。ここは、安芸の国との国境の小瀬の一里塚から18里、九州へと渡るところ赤間関から18里となります。山口県のほぼ中間の一里塚です。山口県の旅も、一区切りと言うところでしょうか。 佐波川を渡り、周防一宮(玉祖神社)にお参りをしました。祭神の玉祖神は三種の神器一つ八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)をつくった神で、この地に没し祀られたという。境内に黒柏がいるが、天然記念物となっている。天孫降臨の時ともに来た鶏で原産地は佐波、鳴き声の長いのが特徴です。小屋に入っているのを見てきました。品格のよさを感じました。 ため池のところから佐野峠をめざし山道を行く。明治10年に遠ヶ崎を通る道が整備され廃道となり少し荒れている。峠の頂上には公園があり眺めがよい。太田蜀山人の碑がある。「周防の国に佐野の峠というところあり、山には小松おひしげりて、石おほくたてり。・・・・まことに山陽一の佳景なるべし」と書いている。風光明媚なところである。 宿場町、郊外、佐波川沿い、峠越えと変化があり、いろいろと堪能できました。天候もよく、汗ばむぐらいでしたが、楽しく歩けたように思います。次回は、台道から、歩き始める予定です。楽しみがありますね。 「佐野峠 遠方を眺め 感心す 風光明媚とは 蜀山人の詩 」(読み人知らず) |
| 街道の興味どころ | |
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宮市本陣 兄部(こうべ)家 |
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浄土宗 定念寺 |
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脇本陣 |
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山頭火の生誕地 |
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佐波令の一里塚跡 |
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| 大崎の渡し 佐波川の渡しは、古代・中世においては大崎の渡しであった。大内時代には山口とを結ぶ関係から上流の本橋(二つ上流の橋)付近を通り佐波川右岸を西下していた。藩政の初期(1660)に大崎の渡しが再開され、現在の大崎橋の10m下あたりを渡っていた。「中国行程記」では佐波川を鯖川と書いている。(写真は大崎橋、この付近で渡っていました。) |
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| 玉祖(たまのおや)神社 周防国の一宮である。総鎮守として古くから崇敬を集めている。祭神の玉祖神は三種の神器の一つ八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)を造った神で、この地に没し祀られたという。景行天皇が西征の時当社を参拝、神功皇后が征韓の際も当社に戦勝を祈願されたと伝わる古社である。 境内の黒柏は天然記念物で、天孫降臨と共に来た鶏で原産地は佐波といわれている。今はわずかに山口県、島根県に生息するのみとなっている。鳴き声の長いのが特徴である。 祭神が玉造りの神様であることから、メガネ、宝石、カメラ関係の全国業者が集まり、4月に「玉の祭り」が盛大に行われている。 また、県の無形文化財に指定されている「占手神事」が9月の大祭の時に行われる。仲衷天皇が当社を参拝した際、三足の土鼎と大皿をつくり相撲に似た形で戦いの吉凶を占ったと伝えられる。夜中に行われ「夜相撲」とも呼ばれ、占手相撲ともいう。 |
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| 佐野一里塚跡 小瀬川より19里、赤間関より17里の一里塚である。佐野地区は地元の土を使った素焼きの「佐野焼」が盛んで、かっては九州や四国、広島方面に出荷していたが次第に姿を消し、現在ではわずかに玉祖神社で使われる器が焼かれている。 |
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| 佐野峠 ため池の南端を回って山道に入ると佐野峠である。明治10年に遠ケ崎を回る新道ができて廃道となった道で荒れて狭くなっているが、約2kmの道が続く。急な坂道を登り頂上に出る。円形の台地の上に太田蜀山人の碑がある。「周防の国に佐野の峠というところあり、山には小松おひしげりて、石おほくたてり。・・・・まことに山陽一の佳景なるべし」と書いている。その後佐野峠の名は一層高まった。以来、頼山陽をはじめ多くの文人墨客が訪れ詩文を残している。頼山陽はあまりの絶景に筆を投げ折ったと伝えられる。山陽自動車道のパーキングエリアが眼下に見える。 佐野峠から岩淵までの旧山陽道は2Km続くが、6月の豪雨により途中に土砂崩れの個所が発生している。 |
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| 岩淵の市 佐野峠を下ると岩淵の市である。宿馬10疋の半宿であった。 右側に「孝女お石の碑」がある。お石は嫁して舅の看病につくし、僅かな土地も両親の薬代に消えてしまい、夫は行商に出たが失敗し10年あまり帰郷しなかった。この間、お石は両親に孝養をつくし家を守ってきた。これがお上に聞こえ、藩主から褒章を受け、その後も何度か米を賜り姓を名乗ることを許された。 家並みが切れた辺りの道の両側は低くなっており、「小俣の海」という入海で、古くは北の方を大きく迂回していたという。 |
| 防府宿の中心部 |
