記事No.279ニュースレター179号(2006.03) 第32回西国街道散策会
可部街道[緑井〜八木〜可部の街並み]
○日時:平成18年1月22日(日)9時45分〜16時 ○参加:47名
■やるきまんまん
このたびは、西国街道を離れ、可部街道、広島〜可部を歩きとおすため、緑井を出発、可部までを歩きました。可部には14時についたのですが、街並みもいいものが残っているということもあり、街並みを見て歩き、16時解散となりました。お疲れでしたが天候もよく久しぶりにすがすがしかったですね。散策会は、47人の参加をいただきました。
午前9時45分、JR可部線緑井駅に集合、ここから歩き出しました。八木神社、用水、城跡、峠などを見聞、細田神社到着。ここで、昼食と、開札、集合写真を撮りました。太田川を渡り、可部の街並みへ、可部の内港、水主町の家並み、寺院、酒屋、醤油屋、茶屋など、繁栄の状況がよくわかります。
この続きは、西国街道を山口に向け歩き始めることとし、己斐〜井口までを歩きます。大勢の参加をお待ちしております。
■地域の成り立ち
可部の町は、安芸の国北部からの、物資の集積所で会った。太田川、三篠川、根の谷川の合流点であるとともに、出雲街道、石見街道の分岐点にもなっている。このため、水運、陸運にたずさわる人、また、大勢の人が行き来する。このため、関連産業も発達してきた。人が集まると、酒、醤油、お茶など、生活産業も育っていく。また、周辺の資源、砂鉄や、燃料である木材から、鋳物製造が生まれ、現在にもつながっている。八木は、北部からの進入を食い止める、地形的にも狭隘なため、室町から戦国にかけて、とりでや、関所が設置される。また、緑井に広がる田園地帯、この水源は八木から用水により支えられている。耕作田と取水口の高低差が必要、目の前の太田川から直接摂取できない。このため、遠くの、細田信者付近の取水口から取水、延々と水路でつないでいる。江戸時代の水源確保は大変であったと考えられる。
■足どり・見どころ
延々と続く八木用水、はるかかなたから、農作物の成育には欠かせない水を運んでいる。当時の可部街道は2mたらず、道は曲がり、峠を上下するのに、用水は3mもあったであろうか、ただひたすらなだらかな勾配で、下流を目指す。八木のたおから、八木城あたりでは、トンネルになる。家などは、人がすまなくなっていくと朽ちていくが、道や、用水路は、よほどのことがないかぎり変わることがない。歴史の生き証人である。可部の街は、近世、近代の玉手箱とも言える。水主町の神社町屋は、昔の生活が残る。トイレの汲み取り、壁面の舟板、延焼防止のうだつ、涼しさと、覗き見防止の格子など、また、品窮寺などは、風格がある。本堂の立派さもさることながら、庫裏、経堂、鐘楼など、豪華絢爛である。地域の繁栄と信仰のあつさが見て取れる。○○寺、○○寺なども同様である。可部街道、石見街道の交差部に大正時代の石柱の道しるべがあった。なんだか、向き合っているが、字が壁側にある。昔の人はとんちが利くのか、とも思ったが、これは明らかに、位置の変更があったようだ。現代の工事関係者が、近くにあけばと単純に映したに違いない。歴史の生き証人がないているのではないか。
このコースで6時間くらいである。散策にはちょっと長すぎたようだ。
「可部の街に 近世の羽振り 今に見え がんすがんすと ひびきつたわる」
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