記事No.344ニュースレター188号(2006.12) 第36回 西国街道ぶらり旅 報告


      From大野浦to玖波 大野浦〜八坂〜玖波の道ゆきぶり  ◇主催:西国街道ぶらり旅の会 ◇日時:平成18年11月18日(土)10時〜15時 ◇参加:60名  ,笋襪まんまん 散策会からぶらり会となり、2回目、参加者60名と順調に推移しております。今回は、大野浦から玖波まで歩きました。天気は、曇り、昼から少しポツリときて、鳴川では雨が降りました。後半は、天気がちょっと残念で、楽しさも中位なり大野町といったところでしょうか。 前回に続き、中川さんに、解説をお願いしましたが、わかりやすい説明で満足していただけたのではないでしょうか。距離としては適当であり、心地よかったことと思います。このコースで3時間くらいである。7kmは歩いたようです。歩くにはちょうどよかったのですが、一部鉄道沿いなど注意が必要でしたね。 街道の道筋 大野浦から玖波にかけては、海が迫っていたため、西国海道は、山間の間の峠を越え、山の中腹を進んでいきました。このルートは、前回に続き、平安の当時から、この山間を抜けており、歴史的にも多くの方が行き来されるなど、その重みは大きいものがあります。 とくに、室町時代の幕府方でありました今川了俊などは、九州を支配するため、下っている途中、多くの歌を残しております。また、江戸末期、幕府軍と、長州軍の激突の場でもありました。地形的にも、海に迫っていたため、この地をめぐり攻防が続いておりました。また、歴史上の人物、吉田松陰なども往来していました。山口への備えなど重要なルートでもあったようです。 明治期以降、国道2号が海岸ルートととなってきたため、単なる山道となり、本来のルートはわからなくなっているところもあります。 みどころ この区間は、割と山道にいたるところが多く、明治になって、国道が制定、海岸側に移っていることから、当時の風景が残っているところがあります。 また、八坂には、山の中腹に当たり、そこからの風景は、絶景であったに違いない。三県一望の地(広島、山口、大分)などもあり、眺めがよかった。吉田松陰が、ここに座って遠方を眺めたとしても不思議ではない。また、幕府軍と、長州軍の激突の地には、当時無念の死を遂げた依田氏の地であり、神社などを設置、参拝している様子が今も残っている。 また、この地も、今川了俊が、所々で、歌を詠んでおり目をつぶれば、その情景が思い浮かべられるところです。 「波の上に 藻塩焼くかと 見えつるは あまの小川に たく火なりけり」  また、玖波の地は、周防に向けて最後の宿場でもあることから、浅野藩支配において、重要であったと思われる。町は、幕末の戦争において、消失はしているものの、その後すぐに町は復興し発展していました。町の中心部には、高礼場も当時の状況がわかるようになっており、街並みには、白壁の家も残ってるなど風景を感じることができる。今回は、最後に雨に降られたので、ゆっくりとできませんでしたが、次回、ぜひゆっくり見てみたいものだと思います。ちょっと寄り道で、7kmの旅でした。 「街道は 峠を越えて 進み行く 道なき道は かすかに続く」(詠み人知らず) (絵:井上宏司 文:Shiokata)



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